個人事業の「事業主貸/借」は法人でどうなる?役員勘定と資金移動の基本
法人を設立し、初めて法人経理に取り組む際、個人事業主だった方が戸惑うことの一つに、事業用の資金と個人の資金の扱いの違いがあります。特に、個人事業の経理で使っていた「事業主貸」「事業主借」といった勘定科目が法人経理には存在しないことに疑問を持たれる方もいらっしゃるかもしれません。
この記事では、個人事業の「事業主貸」「事業主借」という概念が法人でどのように変わり、法人と役員(社長など)間の資金移動がどのように処理されるのか、その基本的な考え方と知っておくべきポイントを解説します。
個人事業主の「事業主貸」「事業主借」とは?(簡単な復習)
まず、個人事業主の経理における「事業主貸」と「事業主借」について簡単に振り返ります。
個人事業では、事業主の財布と事業の財布を厳密に区別することが難しい場合があります。そのため、事業用の資金を事業主個人が生活費などに使った場合や、事業主個人のお金を事業のために使った場合に、その資金移動を記録するための勘定科目として「事業主貸」と「事業主借」が用いられます。
- 事業主貸: 事業用の資金を事業主個人が引き出した、または事業主個人の負債を事業用の資金で支払った場合などに使われます。
- 例:事業用の口座から生活費を引き出した場合など
- 事業主借: 事業主個人のお金を事業のために使った、または事業主個人の資産を事業に充てた場合などに使われます。
- 例:事業主個人の財布から事業の備品代を支払った場合など
これらは、期末に元入金(事業主の自己資金)で相殺され、事業の損益計算には影響しない科目でした。
法人経理に「事業主貸」「事業主借」がない理由
一方、法人経理には「事業主貸」「事業主借」という勘定科目は存在しません。その理由は、法人が法律上、個人とは独立した存在(法人格)であるとされているためです。
法人の財産は役員個人の財産とは完全に分離されます。そのため、法人の資金を役員個人が自由に引き出したり、役員個人のお金を法人の活動に充てたりする場合でも、個人事業のような曖昧な扱いではなく、明確な取引として記録する必要があります。
この「法人と個人の資金の分離」は、法人の財政状態や経営成績を正確に把握し、税務上の透明性を確保するために極めて重要です。
法人での個人との資金移動はどう記録する?「役員勘定」の登場
法人と役員個人との間で資金のやり取りが発生した場合、それは役員との取引として記録されます。この取引を記録するために主に使われるのが、総称して「役員勘定」と呼ばれる勘定科目群です。
主な「役員勘定」および関連する勘定科目は以下の通りです。
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役員報酬:
- 法人が役員に対して支払う、いわゆる「社長の給与」です。
- これは、法人の費用として処理されます。個人事業の「事業主報酬」は費用になりませんでしたが、法人の役員報酬は適切に決定・支給されていれば費用(損益計算書の科目)となります。
- 役員報酬には、所得税や住民税の源泉徴収が必要です。法人は支払いの際にこれらの税金を天引きし、税務署や市区町村に納付する義務が発生します。
- 個人事業主が法人化して役員報酬を自分に支払う場合、給与所得者という立場になります。
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役員借入金:
- 役員個人が法人に対してお金を貸し付けた場合に発生する、法人の負債を表す勘定科目です(貸借対照表の負債の部)。
- 例えば、法人設立時に会社の銀行口座が開設できるまでの間、役員個人の資金で会社の運営に必要な経費を立て替えたり、資本金とは別に追加で運転資金を法人に入金したりした場合などがこれに該当します。
- これは、将来法人が役員個人に返済すべきお金となります。
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役員貸付金:
- 法人が役員個人に対してお金を貸し付けた場合に発生する、法人の資産を表す勘定科目です(貸借対照表の資産の部)。
- 例えば、役員個人が急にお金が必要になり、法人の資金を個人的に借りた場合や、法人の資金で役員個人の買い物をした場合(これは厳密には貸付けと見なされる可能性があります)などがこれに該当します。
- これは、将来役員個人が法人に返済すべきお金となります。
具体的な資金移動のケースと経理処理(仕訳例)
ここでは、法人と役員個人との間でよくある資金移動のケースと、その基本的な経理処理(仕訳)の考え方をご紹介します。
勘定科目の内容は会社の状況や取引内容によって異なりますので、あくまで一般的な例としてご理解ください。
ケース1: 役員報酬を法人口座から個人口座へ振り込んだ場合
最も基本的な資金移動の一つです。役員報酬は法人の費用として処理されますが、そこから所得税などの源泉徴収分を差し引いて個人に支払います。
例えば、役員報酬が月額30万円で、源泉徴収税額が1万円だった場合:
- 仕訳の考え方: 役員報酬という費用が発生し(借方)、法人口座から現金が減り(貸方)、源泉徴収税は後で納める義務(負債)として計上します(貸方)。
借方:役員報酬 290,000 / 貸方:普通預金 290,000
(役員報酬から源泉所得税等10,000円を差し引いた金額を振り込んだ場合)
※厳密には、源泉徴収額を「預り金」として計上する仕訳も必要です。
借方:役員報酬 300,000 / 貸方:普通預金 290,000
/ 貸方:預り金 10,000
(役員報酬総額と、差し引いた源泉徴収税、差引支給額の仕訳)
ケース2: 設立後、役員個人の資金で会社の運営に必要な経費を立て替えた場合
法人口座の開設が遅れたり、急な出費で法人口座の残高が足りなかったりして、役員個人の資金で法人の経費を支払うことがあります。この場合、その立替金は法人が役員から借り入れたお金(役員借入金)として扱います。
例えば、役員個人が会社の消耗品代として1万円を支払った場合:
- 仕訳の考え方: 消耗品という費用が発生し(借方)、その支払いは役員個人が行ったので、法人の役員個人への負債(役員借入金)が増えます(貸方)。
借方:消耗品費 10,000 / 貸方:役員借入金 10,000
(役員個人が立て替えた消耗品費の計上)
ケース3: ケース2で立て替えた経費を法人口座から役員個人へ精算(返済)した場合
ケース2で発生した役員借入金を、後日法人口座から役員個人に支払って精算します。
例えば、ケース2で発生した役員借入金1万円を法人口座から役員個人に振り込んだ場合:
- 仕訳の考え方: 役員借入金という負債が減り(借方)、法人口座の現金が減ります(貸方)。
借方:役員借入金 10,000 / 貸方:普通預金 10,000
(役員個人への立替金精算)
※なお、立替精算が頻繁かつ短期間で行われる場合は、「立替金」という勘定科目を使うこともありますが、最終的には役員との間の資金の流れとして整理が必要です。
ケース4: 法人のお金を役員個人の個人的な用途に使ってしまった場合
例えば、法人口座から役員個人の遊興費に使ってしまったなど、事業とは無関係な目的で法人の資金を使った場合です。これは原則として許容されませんが、もし発生してしまった場合は、法人が役員個人にお金を貸し付けた(役員貸付金)と見なされる可能性があります。
例えば、法人口座から役員個人の趣味の品購入に3万円を使った場合:
- 仕訳の考え方: 役員個人への資産(役員貸付金)が増え(借方)、法人口座の現金が減ります(貸方)。
借方:役員貸付金 30,000 / 貸方:普通預金 30,000
(役員個人の個人的な支払いを法人口座で行った場合)
役員貸付金は税務上、利息を受け取る必要があるなど煩雑な処理が必要になるほか、税務調査で問題視されやすい傾向にあります。安易な法人口座からの個人利用は避けるべきです。
法人と個人間の資金移動における注意点
法人化を機に経理を正しく行うためには、以下の点に注意が必要です。
- 法人と個人の資金を明確に分離する
- 法人口座と個人口座は必ず分け、事業に関する入出金は全て法人口座で行うのが基本です。個人の生活費などと混同させないようにしましょう。
- これにより、法人の財政状況が明確になり、経理処理が簡潔になります。税務調査の際にもスムーズに対応できます。
- 安易な資金移動を避ける
- 特に法人の資金を個人のために使う(役員貸付金が発生するような行為)は避けるべきです。税務上の問題(利息計上や源泉課税リスク)が発生する可能性があります。
- 役員借入金も多額になったり長期間残ったりすると、資本と見なされるなど別の問題が生じる場合があります。必要な資金は役員報酬や適切な借入れで賄うのが望ましいです。
- すべての資金移動を正確に記録する
- 法人と個人間の資金移動が発生した場合は、その日付、金額、目的(役員報酬、立替精算、借入など)を明確にし、すべて経理帳簿に正確に記録する必要があります。
- 資金のやり取りの証拠となる通帳の記録なども大切に保管しましょう。
まとめ
個人事業主にとって身近だった「事業主貸」「事業主借」という勘定科目は、法人にはありません。これは、法人が個人とは独立した存在であり、資金も完全に分離されるべきという考え方に基づいています。
法人と役員個人との間の資金移動は、主に「役員報酬」「役員借入金」「役員貸付金」といった役員勘定を用いて、その目的と内容に応じて正確に記録することが求められます。
特に、法人の資金を個人的に流用することは、「役員貸付金」として税務上のリスクを伴うため、厳に慎む必要があります。
法人と個人の資金を明確に分離し、すべての資金移動を正しく経理処理することが、法人経理の基本であり、会社の信用を守るためにも非常に重要です。もし不明な点があれば、税理士などの専門家に相談することをお勧めします。
これらの基本を理解し、日々の経理業務で実践していくことが、スムーズな法人運営への第一歩となるでしょう。